出身地:埼玉県さいたま市 勤務先:埼玉県さいたま市・認可保育園 保育園勤務歴:認可保育園で正職員、認可外保育園でパートタイム勤務後、自園の立ち上げ 園長先生歴:18年 趣味:推し活
ーとても明るい印象の島村先生ですが、小さいころはどんなお子さんだったのでしょうか?
実は私は、小学2年生まで幼稚園も小学校も、登園・登校拒否していたんです。いつも母の後ろに隠れていて、お友達の家でも目の前のお菓子を食べたいと言えず、母をつついて伝えるような子でした。中学生になるまでは、人と違うことは絶対に嫌で、ひたすら目立たないように目立たないようにと生きていました。
変化があったのは高校時代、都内の女子校に通い始めてからです。女ばかりの世界で「ここでは自分の意見を言わないとだめだ」と感じ、感情を表に出し始めました。保育に携わりたいという気持ちが生まれたのもこのころです。
ー何か保育士を目指すきっかけがあったのでしょうか?
高校2年生のとき、保育の専門学校に通う知り合いの女性が暑中見舞いを送ってくれました。「ぼかし技法*」が使われたとても優しい印象のハガキで、ひと目見て「うわあ、なんてきれいなんだろう」とうっとり。私も保育の学校に通って、こういう描き方を勉強してみたいと思うようになりました。
その後、両親に「保育の道に進んで、進学と同時に一人暮らしをしたい」と話したら、「一人暮らしするなら大学に行かないとだめ」と返されてしまいました。私が通っていた学校は商業高校で、同級生は9割以上が就職組。私もそんなに成績がよい方ではなかったので、そこからはひたすら勉強の日々が始まりました。自分で調べて本を買い、学力に合った学校を選び、願書を取り寄せて、無事長崎県の保育科がある短大に合格しました。
*クレヨンをティッシュでこすって絵を描く技法
ー猛勉強のすえの合格だったのですね。卒業後は保育園に就職したのですか?
はい。短大卒業後は、私立の認可保育園に就職しました。ただ、早くに娘を妊娠したためその園はすぐに退職することに。そこから数年は、レストランのウェイトレスや保険会社のセールスなど、保育とはまったく関係ない仕事をしてすごしました。
最初の園を辞めるとき、なんとなく「もう私は一生この仕事はしないんだろうな」と思っていたんです。でも、娘を預ける保育園で働く先生たちと保護者として接する中で、「やっぱり、私ももう一度保育士をやりたい」という想いがふつふつと湧いてきました。その後、娘が年中さんになるころに近くの認可外の園でパートとして働き始めて、そこから1年後にはもう自分の園を設立していたので……。
ースピード感がすごいです……!
そうですね(笑)。これはもう性格ですね。なんでも常に前に前にで、あまり後ろを振り返らず、とにかく前に進むだけなので。
ーいつごろから自分の園を立ち上げたいと思われたんですか?
認可外の園で働き始めたころから、いずれは自分で園をやりたいと思っていました。数年ぶりの保育現場で、当時の私はもう毎日がむしゃらに働いていました。春先には「私が自家用車を出すので、子どもたちを連れて土手に行ってヨモギ摘みしましょう」とか、敬老の日には「おじいちゃん・おばあちゃんを呼んでイベントをやりましょう」とか。「パートだから」といった立場は頭になく、やりたいことはどんどん園長先生に提案していました。
そんなとき、ちょうどその園が2園目を開くことになり、立ち上げ業務の一部を私が担当することになりました。まだ働き始めて1年も経っていなかったのですが、「香織先生なら信頼できるから」と、園長先生が任せてくれたんです。新園オープンに向けて、開園の準備をするうちに「私だったらこうしたい、ああしたい」と、やっぱり自分で園を開いてみたいという想いが、自然と強くなっていきました。
そうした気持ちが高まり退職を決意する前、「自分の園を開くので辞めさせてください」と園長先生にお伝えしました。先生も私のことを分かってくれていたようで、「香織先生が辞めるのは、そういうときだろうなと思っていた」と言ってくれました。
ーその後、ご自身で保育園を立ち上げられました。何かきっかけはあったのでしょうか?
父が勤めていた会社を退職するとき「何か事業を起こしたい」と話しているのを聞いたのがきっかけです。私はすぐに「それなら、保育園をやりたい!」と思い、まずは母に話を持ちかけて二人で物件を探して場所の目星をつけてから、「ねえ、保育園やらない? もう物件も抑えたよ」と父に提案しました。
ーすごい行動力ですね。
父も母も保育業界は未経験でしたが、反対はありませんでした。両親は私が保育の仕事をしているのを嬉しく思ってくれていたようです。立ち上げ当初は認可外の園で、父が代表で母が園長を務めました。私はそのときまだ20代後半で、園長になるにはちょっと早いかなと。その2年後、さいたま市指定の家庭保育室に上がるときに、保育士資格を持っていた私が施設長になりました。そこから18年、園長を続けています。
ー今、ご自身が園を作っていく上で大切にしていることを教えてください。
「子どもたちも、保護者の方も、職員も楽しめる園を作りたい」というのが一番です。そのために、特に職員の働きやすさを重視しています。毎年、職員にディズニーのペアチケットや美容室のカットサービスを贈ったりもしていますが、もっとも力を入れているのは、職員が自然と意見が言える環境作りです。意見が言えれば、それだけ職員自身も楽しく保育ができますよね。
職員が楽しみながら保育をすれば、それは自ずと子どもたちに伝わります。子どもたちは「楽しい」と思うと、家でもお話するので、それが保護者にとっての楽しみや園への信頼に結びつくと考えています。今後もそういう好循環が生まれる園であり続けたいです。
あとは、子どもたちの記憶の中で、保育園での生活が楽しい思い出として残ることです。うちの園では食育にこだわっていて、夏祭りには山梨県から移動果樹園を呼ぶんです。今年も、園庭に桃の木を20本ほど置いて、子どもたちには自分の手で桃をもいでもらいました。
保育園で過ごす時間は人生の中のたった0歳から6歳まで。ほぼ記憶が残らない期間の一部かもしれませんが、将来「こんな楽しい園に通っていたな」という感覚が少しでも残ってくれたら嬉しいです。
ー保育士という仕事をする中で、やりがいを感じる瞬間について教えてください。
大前提として、一人も大きな怪我(けが)や事故なく一日を終えられたときは一番ホッとします。そういう一日一日を重ねていけることが喜びです。あとは、やっぱり職員や子どもたちの笑顔を見たときですね。
ー職員の方との関係性も重視されているのですね。
今、うちの園には、20代から70代まで19人の職員が在職しています。もし一人ひとりが、自分のよい面・得意なことを保育に活かすことができたら、きっと子どもたちはさまざまな刺激を受けられますよね。私は「完璧な人間は一人もいない」と思っています。「得意なこともあれば、苦手なこともある。それでいいじゃない」と思います。
もちろん、園として最低限守りたいラインはありますが、基本的には職員に自由にやってもらいたいです。若い職員からの新しい提案も多いです。主任から「◯◯先生がこんなことをしたいみたいで、お任せします」という報告を受けて、私が「いいじゃん!」と返すことがよくあります。
ー主任のお嬢さま、理事長のお母さまとの関係性についても知りたいです。
娘はもともと別の仕事をしていましたが、数年前から本格的に園の運営に関わるようになりました。小さい頃からずっと園で子どもたちと遊び、高校生のころから「園だより」作りを手伝ってくれていたこともあり、すぐに馴染んでいました。特に書類関係などは私よりもずっと得意で、今は全部任せています。
母は「おばあ先生」として、子どもたちからも職員からも親しまれています。本人は「私はもう年だから、あなたたちに任せるわ」と言っていますが、今でも朝から晩まで園にいてクラスに入って寝かしつけもしています。
私にとって母と娘の存在はとても大きいです。職員が増えればそれなりに悩みごとも増えて、楽観的な私でも圧倒されそうになります。そういうときに、母や娘が何気ない一言をかけてくれたり、「じゃあ、それ私がやっておくよ」と言ってくれることで救われています。二人がいてくれているからこそ、より自由に私らしい保育ができていると感じます。
ー島村先生が保育をする上で、大事にしていることを教えてください。
今回「園長先生」ということで取材していただいているんですけど、普段は誰からも「園長先生」なんて呼び方はされていないんです。子どもたちからも職員からも保護者の方からも「香織先生」と呼ばれています。
こういう立場ではありますが、私は一生保育士でいたいんです。一生現場に立って、一生子どもたちと関わる。それが私の理想の保育です。今も職員の休憩まわしやパートの職員がお休みのときには、代わりにクラスに入って保育しています。園長だからと偉ぶるのではなく、これからも気軽な香織先生であり続けたいです。
ー今後の保育人生、どのように歩んでいきたいですか?
今後も今と変わらず楽しく、新しいことにどんどん挑戦していきたいです。特に若い職員は私自身も刺激を受けるような新しい保育のやり方・考え方を持っているので、積極的に取り入れて「踏みとどまらない、進んでいく保育」を実践していきたいと思っています。
ーありがとうございます。最後に、保育士を目指している方に向けてメッセージをいただけますか。
保育は、未来ある子どもたちを支える仕事です。子どもって目の輝きが大人とは全然違うので、それを見ているだけでも「本当にこの仕事をしていてよかったな」と思えます。私はピアノも絵も苦手だし、字も汚いし……保育士としてはダメダメなんです。でも、こんな私でも保育の現場は毎日、とても楽しいです。私生活で何か嫌なことがあっても、仕事のときは忘れられます。保育園に来て、子どもたちの顔を見るだけで幸せになれるんです。
手先が不器用だからとか、お話がうまくないから保育士に向いていないかも、と考えている人には「私もそうだったから大丈夫」と言いたいです。保育士はとても素敵な職業だと私は思っています。だからこそ、生涯現役でありたいんです。
(取材・文:増田早希、撮影:中村隆一、編集:ホイシル編集部)
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*形態の切替のため。前身である施設は2003年開園。